2010/12/22

ムダと貴重 合理性と気持ちの問題の綱引き

Precious ....

ある人からみるとムダなものが、別のある人から見ると貴重なものに見える場合があります。

実は我が家の家計簿を巡って、ちょっとした事件が起きました。

我が家では、三人目の子供の出産を控えており、来年から家計簿をつけることに決めました。ドンブリ勘定ではない、一般的な家計簿です。奥さんは一度チャレンジして三日と続きませんでしたので、担当は私になりました。もちろん私も三日で終わるかもわかりませんが、おこずかい帳なら二年くらい続いていますので、三日より長く続く確立は奥さんより高いはずです。

私はまず我が家の収入をキチンと洗い出そうと思いました。恥ずかしいことに私は家庭の収入についてよくわかっていません。現状、ほしい物はほとんどすぐに手に入れますし、食べたい物は全て食べますし、ただただ欲求のままに好きにしています。(奥さんの苦労は耐えなかったでしょう)項目だけならわかります。私の収入、奥さんの収入、子ども手当、税金の還付金などなど。それぞれおおよその金額を奥さんに聞こうとした際、この事件は始まったのです。
私が引っかかったのは、奥さんが言ったこのヒトコト。

私の収入は家計簿につけないで。

このヒトコトはどうしても理解できませんでした。理解できないから納得がいきませんでした。私の収入は家計に入れて、奥さんのは入れない、そればかりか奥さんのポケットに入るというのです。これはフェアな話ではありませんよね。

私は自分の理想のルールを奥さんに伝えました。収入は全て加算して、適切な出費や貯金などに振り分けるべきという内容です。奥さんの収入はそれほど多くありませんが、このルールの例外ではないと思っています。
これはトラブルになるべくしてなった我が家の問題です。話は平行線を辿り、答えはないようにみえました。

こんなとき、私はTwitterを使います。 すると、やはりと言いますか、色々とお返事を頂きました。(いつも感謝です) Twitterは私にとって雑談する場所であり、ブログを宣伝する場所であり、ライフログを残す場所であり、相談に乗ってくれるかもしれない人がいる、という便利な場所なのです。

返事をひとつずつ読み返信が終わった頃、奥さんの言い分もなんとなくわかった気がしました。私から見るとムダで不平等なものが、奥さんから見ると貴重でかつ、あると気持ちを豊かにできる平等なものである、ということです。これは数学などの学問には収まらない奥さんの「気持ちの問題」なのです。

世の中の男性にはこの意見に簡単には賛同できない方が多くいそうです。おこづかい制のパパさんは、家計管理とおこずかい制はトレードオフだという考え方をしているかもしれません。経済に詳しい方であれば、資産運用をお考えになるでしょう。資産運用の資金は多いほうが良いという話は私でも知っています。
女性の意見を聞くと気持ちに余裕を持つことの重要性を意識する方が多いと思います。中には全く中立の立場から、家計簿から家庭事情が見えるとおっしゃった方がいて、切実な問題が少し和らいだりもしました。

私はこの「気持ちの問題」というナゾに、ほとほと参っています。そして、たびたび振り回されているのです。合理的に考えれば考えるほど、答えは遠ざかるようにも見えてくるのです。

どこまでがムダで、どこからが貴重であるのか? この綱引きに答えはありません。いや、合理的な答えはあるだろうけど、「気持ちの問題」はそれを覆す力を持っているとでも言いましょうか。

ここから私のいつもの悪いクセが始まります。答えがないことに答えを探し始める、要するに脱線です。(今回のようにうまくまとまるケースは稀です)

全ての仕事を定時内に終わらせることを重要視している私は、時間に常に注意を払っています。時間を守るためにタスクを整理し、スケジュールを立て、顧客や部下とコミュニケーションを取り、調整を常に繰り返しています。これは、お金や出世のためではなく、自分の趣味の時間を捻出するためです。
趣味の時間の使い方は色々ありますが、その二割程は金銭的価値からすると無価値のような447ブログを書く時間に当てています。
これは私の言い方だと「気持ちの問題」なのです。ブログを書く時間は、私にとって自分を見つめ直すとても貴重な時間です。この時間が少なくなると精神的に弱ってしまいます。しかし第三者から見るとただの時間の浪費にしかみえないかもしれません。ブログなど書かずに仕事をしたほうがお金になると思われるでしょう。

こうして自分を見つめ直すと、私自身の中でも合理的に動いている時間と「気持ちの問題」に費やす時間があることに気が付きました。そして、Googleカレンダーを二、三ヶ月さかのぼってみると、睡眠時間と同じくらいの時間を「気持ちの問題」に費やしていることがわかりました。普段からほとんどストレスを感じない生活を送っているのは、「気持ちの問題」に対して時間を費やしているから、かもしれません。もちろん好きな仕事をして、かわいい子どもたちがいて、居心地の良い喫煙所付きの書斎があって、理想の奥さんがいることも大きいはずです。

私がまずやることは、気持ちを早く切り替えて、奥さんと仲直りすることでしょう。そして奥さんの「気持ちの問題」に対して、もう少し寛容になるべきなのです。(ちなみにこの最重要タスクは既に完了してます)

数字を追いかけるビジネスでは、「気持ちの問題」がタブーとされる雰囲気があります。きっと私の中にその慣習が根付いてしまっているのだと思います。ビジネスでは合理性寄り、プライベートでは「気持ちの問題」寄り、こんな都合の良い頭の切り替えにはかなりの訓練が必要そうです。

今回の事件でひとつの教訓を得ました。私の言葉で説明するとこうなります。

私からムダに見えることが誰かにとって貴重なものであれば、それはその誰かの「気持ちの問題」です。「気持ちの問題」には注意を払って寛容になったほうが、より合理的に物事を進められるでしょう。

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