2010/11/14

謙遜しすぎは自分に毒 美徳意識の落とし穴

ニッポンのガーデニング

私たち日本人の美徳意識の中で一、二を争うのが「謙虚さ」です。一歩引いて相手を立てる、この姿勢は相手に思いやりを持っているという印象を与え、信頼関係を築くのに一役買います。そして「謙虚さ」が感じられないと「傲慢」な人だとレッテルを貼られ、敬遠されることすらあります。

「謙虚」であると人から信頼され「謙虚」でないと人から敬遠される、私たち日本人は小さい頃から「謙虚さ」について学び、この考え方がもう無意識にと言っても良いほど刷り込まれています。「刷り込まれて」いることによって、得をしている部分はかなり大きいと思います。私自信、お互いにへりくだり讃え合うやり取りで気持ちが良くなり、人間関係が良好になった場面を何度も経験しています。しかし謙遜であれば必ず上手くいくのかというと、そうではありませんでした。謙遜しすぎると逆にマイナスな印象を与えてしまうことがあるからです。

例えば、営業マンが自社製品の宣伝で謙遜してしまったらどうなるでしょうか? 営業された側、つまり顧客は「この製品大丈夫?」と思う場合もあるでしょう。営業マンは自社製品について、へりくだる必要はなく自信を持ってオススメすれば良いと思います。
「この車の燃費いいですね!」「いえいえ、このクラスだとN社の○○が一番燃費が良いですよ」、私はこういうやり取りに何度も遭遇しています。こう言われて正直な営業マンだと気持ち良く感じる方もいれば、N社の○○が気になってしまう方もいるはずなのです。H社とN社で迷っている状況であれば、N社に傾く可能性がないとは言えないのです。最悪、売る気がないと判断されても仕方ありません。
謙遜しすぎると、自信がないと判断されたり、気持ちを逸らされてしまったと感じさせてしまうことがあるのです。
私の知る限り、T社の営業マンは「ありがとうございます」と一旦受け止めてから、自社製品の別のオススメポイントも説明します。この流れで営業されると、私はどんどん前のめりで話を聞いてしまいます。自社製品に絶対の自信があるのか、もしくはそのように教育しているのか私にはわかりませんが、「製品に興味を持った」という気持ちを発散させずに、さらに大きくする工夫ではないかと思います。

ところで、あなたご自身についてはどうでしょうか? あなたが何かを成功させたとき、人から褒められたとします。多くの方はこのタイミングで無意識に謙遜するのではないかと思います。何らかの外部要因のおかげで成功できた、もしくは単純に運が良かった、タイミングが良かった、と答えるのがいかにも日本的です。特に褒めた相手のおかげで成功したというやり取りはとても美しいものだと思います。
そして逆に失敗してしまった場合、この場合は逆に自分に原因があった、つまり内部的な要因のせいで失敗したと潔く認めることが美徳とされています。

書籍「ライフハック心理学」のなかで心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんはこう指摘しています。

・悪いことが起こったとき、原因を自分の外側に置く人は、あまりストレスをためずにすむ。
・悪いことが起こったとき、原因を一時的なものだと思う人は、心理的にストレスをためずにすむ
・成功した原因を「自分の外部」×「変動的」な運に求めてしまう→大いに損をしている

つまり美徳と反対のことを思う(思い込む)とストレスがたまらず、成功のために行ったであろうあなたの努力が報われると指摘しています。指摘されるまでもなく当たり前だと感じる方も多いかもしれません。ですが、私たちはものごとを無意識のうちに謙虚に捉えてしまいがちです。良いことは他人や運のおかげ、悪いことは自分のせいと考えてしまいがちなのです。謙虚さの根をはりすぎると、毒になるのではないか思えてしまいます。
謙虚な気持ちは美しいものです。しかしものごとの判断基準を謙虚さ優位で決めてしまうのは大きな偏見ではないかと思うのです。

原因を特定するための観察力は実に頼りないものだ。見つけ出しているのは客観的事実などではなく、心の創りだす、思い込みの産物に他ならない。たどすれば、自分に不利な思い込みばかりしている人は、大いに損をしていると言えるだろう。
ライフハック心理学


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